中九兵衛氏から郵送でお送り頂いた著書『於吉奈我河考』を受取ったのはニ〇〇六年の七月六日のことだった。これから私が書き始めるそもそものきっかけはこの献本になる。

万葉集のかなり最後の方の一首にただ一度だけうたわれている「息長川」(おきなががわ)については従来琵琶湖に注ぐ天野川の古名ではないか、とされてきた。それもあくまでも推測の域を出ず、現在もこの川の素性はよく分からない、というのが万葉集の注釈における一般的な理解であるようだ。

これに対し、歌が詠まれたのは河内において開かれた酒宴でのことだから「おきなががわ」と呼ばれる川は実際に河内の地を流れていたのだ、とする説もある。

中九兵衛氏の論考も河内に息長川があった、とする説に立地して書かれている。そして、同じく河内に息長川があり、それは現在の今川(平野川支流。大阪市東住吉区湯里・平野区喜連西付近~東住吉区杭全)が該当する、という説を「大阪春秋」誌(新風書房)や「大阪の歴史と文化財」誌(大阪市文化財協会)に精力的に発表されている三津井康純氏の論考に異を唱え、同じ河内でも平野川(淀川水系。柏原市古市~大阪市城東区森之宮)が息長川に同定されるべき川ではないか、という立場で書かれている。

そして丁度一年後の二〇〇七年の七月六日、『於吉奈我河考Ⅱ』を中氏から献本頂いた。そこでは前著『於吉奈我河考』に反応して三津井氏から「大阪春秋」誌に論文が掲載されたこと、それでもなお(むしろますます)反論すべきところ多く、再度筆を採られたことが記されている。

中氏の論考は自費出版で、三津井氏の論考は地域雑誌でそれぞれ発表され、大阪における地域史研究の場を賑わせていたことになるが、私はより広範にこの論議が知られてよいのではないかと考え、中氏を「マチともの語り」の書き手としてお誘いするなどしていた。実際『於吉奈我河考』や『於吉奈我河考Ⅱ』を改めて「マチともの語り」サイトで公開する、といったことも考えたのだが実現せず、その後中氏にご相談し、私は私で「息長川」をテーマに書くことをえらんだ。中氏から献本頂いたきっかけからいま、丁度二年になる。

私は史家ではなく、もの書きである。学問として歴史を書くにおいて両氏には及ばない。ただ、知的エンターテイメントとして息長川を取り上げ、多くのひとを刺激することはできるかもしれない。それに、このたびの論議には近江天野川説は加わっていない。いま関西圏を離れて生活している私のようなものこそが、一歩ひいて息長川を眺められるのではないか、という密かな自負をもっている。

中氏に与えて頂いたテーマではあるし、中氏が創刊された「大和川叢書」シリーズのなかの一作として書くものなので立ち位置が中立ではないかもしれない。それでもあまり偏せず、河内・平野川説、河内・今川説、近江・天野川説の間を泳ぎながら足を踏み入れたい。

また「改変許可/同一条件の継承」ライセンスのもとで公開する。

 


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